整体について
整体って、どんなイメージがあるでしょうか。
ボキッとかバキッとか、骨を鳴らすことをされる感じでしょうか。
あるいは、ゴリゴリッと強く揉まれたりする感じでしょうか。
本来、整体とは力を使ってからだを変えようとすべきものではありません。
整体の本質、それは「治す」ものではなく、「治る」べきもの。
つまり、おこなうことはハードではなく、非常にソフトなものです。
したがって、からだに対し、作為的になにか物理的に力を加えることはおこないません。
むしろ、からだそのものの自然の反応にまかせることが、整体への道となります。
たとえば悪いものを食べて吐いたり下痢したりすること、これはからだの正当な反応と言えましょう。
入ってきたら困るものが入ってきたので、それをなんとか出そうとして嘔吐や下痢といった症状を起こすのですから、それを病気とみて止めるべきではなく、すっかり出てしまうまでからだの反応にまかせればよい。
風邪の熱も、それを出すことをからだが望んでいるのですから、すべて出切るまで出させた方が宜しい。
風邪をすべて経過させたら、からだはスッキリします。
これが、からだの整体の作用です。
実は健康なからだとは、病気や症状のないからだではありません。
病気や症状のないからだは、もしかしたら鈍ってしまって病気にもなれず症状も出すことのできない、もろいからだになってしまっている可能性があります。
異常があればそれを異常と感じられる、必要があれば病気や症状として出すことのできる、敏感で弾力のあるからだを健康なからだと謂います。
実際のところ、病気や症状のないからだは一見、健康そうに見えます。
ところがそういった人がもろくも逝ってしまうケースが多い。
「あんなにお元気だった方が、こんなにあっけなく・・」と言われることは意外と多いと思いますが、それは健康だったのではなく、鈍ってしまったからだだったのです。
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凝っているところを揉みほぐすと、うまい人だったらコリは解消したりします。
痛いところをグリグリしたりバキッとやると痛みが消えたりします。
でも、ほぼ例外なくまた元通りになります。
実は歪みやコリは、必要があって起こっています。
いくらほぐしても、いくら矯正しても、必要があるかぎりはコッたり痛んだりしますし、歪みます。
病気に罹っている状態もまったく同じ。
必要があって、病気も起こっています。
一般には状態を改善させるためや、数値を改善させるために薬物等を使用したりしますが、これは帳尻合わせのようなもので、根本的解決には到りません。
ではどうやったらコリがほぐれ、痛みがなくなるでしょうか。
また、苦しんでいる病気が治るでしょうか。
話そのものはカンタンです、そうなる必要がなくなればよい。
ではどうやったら必要がなくなるのでしょう。
実は、それを探偵のごとく探り、静かに調整するのが整体です。
決してチカラワザではありません。
実際のところ、症状の出ている箇所から離れた場所に、大本の原因があることが圧倒的に多いのです。
更にいえばそれは、古い打撲など、昔の出来事が悪さをしているということがとても多い。
それを見つけ、調整するのが本来の整体ですが、整体のすべてに通底するもの、それは「自然の法則」以外のものではなく、(繰り返しになりますが)これは一切、作為的行為はおこないません。
すべて同じ、精細な観察をおこない、必要なところに手を当てていくのみです。
そうすればからだは自然に、また勝手によくなってゆきます。
もちろん、こじれたからだには相応の時間はかかります。
ただし、症状が大きかったり、モノモノしい病名がついているからといって必ずしもこじれているわけではありません。
施術において何をおこなうか、これは操者ではなく、からだそのものが決めます。
整体する者は、ただ観察をおこない、必要なところに手を当てて、からだ自体が自然に変化し、調整されていくのを、ただ見届けるのみです。
さらにいえば整体とは、病気治しにとどまるものではありません。
まして、長生きをさせるためのものでもありません。
よく生きるため、つまりその人の力を出し切り、死ぬそのときまで全身全霊で生き切るためのものです。
畢竟整体とは、よく死ぬため以外のものではないのかもしれません。
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