親を喪うということ
大人になるまでに成長した人たちは、ほとんどは親に育てられていることでしょう。
生まれ落ちて、誰かに育てられなかったら子供は、すぐに死んでしまいます。
それを親が、そうならないように、大事に育てるのです。
親にはまず、その恩があります。
まして、親がいなかったら自分本体は存在しないということです。
自分の存在は、親という後ろ盾があって、はじめて活きるものとなるのです。
もしも仮に、親との仲がよくないとしても、上記事実は変わりません。
小さい頃、親に対して悪い感情を持っていてさえも、根本的に自分を裏切らないのは、どうやっても親だけなのです。
でも悪い感情を持つケースというのは、たぶんあまりないのではないでしょうか。
ふつうに自分が成長し、親が老いるようになりますと、少しでも助けたい、ラクをさせてあげたい、そう思うのが大勢かと思います。
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私は若い頃、言ってみれば放蕩三昧でした。
家にはほとんど寄りつかず、安アパートを転々として、自由気ままに暮らしておりました。
「たまには帰ってきなさい」と言われても、「仕事忙しいから」と言って帰りません。
「いっしょに旅行行こうよ」と言われても、これまた「仕事忙しいから」とか言って行きません。
そのころ自分は収入はあまりなく、食費が足りなくなったときも、家に頼れば親としてはまだうれしかったのでしょうけど、パンの耳とか買って出費を極端に切り詰めて、なんとかやりくりをしていたのです。
自分はおそらく、ひとりの自由が欲しかったのですね。
そんなこんなで時が経ち、自分が30代後半に入る頃、突然に母を喪うことになります。
いや本当は突然ではなく、知識と冷静さがあれば予測もできたのかもしれませんが・・
母は自分がなんの病気で、どれだけ進行していて、もう時間がないということを理解していましたが、いささかも取り乱したりしませんでした。
それどころか、不自由になったからだに鞭打ち、みずからの死後に家族が混乱しないよう、すべてを整理してから逝ったのです。
あまりに立派で見事な死にざまでした。
でも私には、逆にその立派さや見事さがかえって不憫でならないのです。
自分は、母親が逝くそのときまで、ずっと心配のかけ通しだったのだ・・
そのことが自分を、責めても責めても責め足りない心持ちにさせます。
そのとき、自分の迂闊さ、そして無力さを人生のなかで、はじめて痛感いたしました。
もう母は、目に見えぬ大きななにかに奪われてしまい、もはやどれだけ孝行したくても、それは不可能となってしまったのです。
それからの私は、人生が変わりました。
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そのときから15年後、こんどは父親を見送りましたが、もう同じ轍は踏まないように万全の準備をしようと思っておりました。
私は仕事をしながら介護をし、妻やケアマネージャーの方や訪問看護師の方のあたたかい支援を受け、ガンであったにもかかわらず、父を自分の家の、いつもの自分の部屋から旅立たせることができました。
最後はほぼ24時間父につきそい、下の世話からすべてをやっておりました。
2時間以上寝れる状態はまずなく、1時間程度の仮眠を、取れるときに取るという塩梅。
後に、「〇ちゃん(父の名前)、幸せだったわよ〜、龍ちゃんにやってもらって・・」などとも言われましたが、正直なところ、まだ足りなかったのではないか、もっとできたのではないか、という思いがずっと交錯しておりました。
そしてまた、父にはホンの少しの恩返しや孝行ができたかたな、と思う一方、母になにもできなかった悔いが、あたかも楔(くさび)のように残ります。
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父が旅立ったそのとき、介護ですべての力を使い切った私には、一滴のエネルギーも残ってはいませんでした。
しかし本当の地獄はここからでした。
安らかに逝かせて、それで終わりではないのです。各方面の処理や整理をしなければならないからです。
それからの毎日、動かないからだを引きずるようにして、また這いつくばるようにして、ただ粛々と進めるしかありません。
それはまるで出口の見えないトンネルを永遠に歩まねばならないようでした。
ただただしんどく、辛い。
そんなある日、ふとしたところから古い8oフィルムが出てきました。
後に、それをDVDに焼き直してもらうことができました。
そこに写っていたのは赤ちゃんの頃の自分、そしていまの自分よりもずっと若い父と母でした。
もういない、親しい親戚も写っていました。
私はそれを見て、涙がとめどなくあふれて止まりませんでした。
ひとり、慟哭の嗚咽・・
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親を失った悲しみはポッカリと大きな、深い穴が空くようなものです。
しかし、そこには「時」という雪が、次第に穴を埋めようとする意思があるごとく、降り積もってゆきます。
だんだんと、くっきりとした穴の輪郭は不鮮明になってゆき、深い穴も周囲の雪と同じ白い色に染まってゆきます。
でも、どれだけ経っても、その穴が埋まることはないのです。
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