人はなぜ生まれてくるのか
たとえばエジソンとかの発明家であったり偉人であったり、「この人は人類に貢献した!」と言われる人たちがいます。
会社の社長になったり部下をおおぜいかかえて一大プロジェクトを成し遂げる人もいます。
それぞれの分野でも天才と言われ、たくさんの人々に尊敬される人もいます。
そんな人たちは、さぞ「よくぞ生まれてきた!」「生まれてきた甲斐があった」と自分でも思い、また人にも言われることでしょう。
でも逆に、才能もなく見栄えもよくない、人生ことごとくうまくいかなくて、あえぎながらなんとか生きている、なんて人もあるでしょう。
いやそれどころか、生まれて間もないのに親に虐待されて、人生の喜びも愛情も、なにも味わうことなく死んでゆく子供だってあります。
そんなニュースを聞いたりしますと、胸が痛みます。
人々に賞賛される人生だったら生まれてくる意味もわかるけど、苦しむことばっかりの人生、生まれてすぐに死んでしまう人生だったら、いったいなんの意味があるんだろう・・?
こう思うのは、ムリからぬ人情です。
一方でこんなことも言われます。
エリザベス・キューブラー=ロス博士の言葉で、
「人生に偶然はない、すべて必要があって起こっている」
ある人の言葉ですが、
「もしもなにもかもが順風満帆だけだったら、僕はこの人生でなにも学ばなかったことになるだろう」
こういったことを聞きますと、喜びや成功だけが人生の意義でもないようです。
こればっかりは、私たちの社会の価値観だけでは計り知れない深淵があるのでしょう。
どれだけ成功したかとかどれだけお金を儲けたとか、そういたことも喜びのバロメーターになったりすることもありますが、成功が人々のねたみを生じさせたりすることもありますし、お金が争いを生んだりすることもあります。
先人たちの智慧を借りてきたり、私のこの、たよりないなりの人生経験を積んだり見聞したりしてきて感じたことを統合しますと、どうやらそれぞれの「人生の意味を見つける」ことが大切なのかなァと、うすぼんやりと思うのです。
それは必ずしも成功やお金の量とシンクロするものではなく、ときに失敗や挫折が必要な人生となることもあるのかもしれません。
栄光に包まれて人々の賞賛を浴び、大いなる価値ある業績、善をなした人の人生と、ともすれば人に無視され、うざったがられ、何らの価値も認められず、存在を否定されるような人の人生と、それぞれの人生の意味においては、いくばくもの違いはないのかもしれません。
人間社会の価値観というのはそこだけの狭く浅い地平の話だけで、深淵を見はるかすと、もしかしたら、もっとまったく異なった価値や意味が拡がってくるのではないかなァ、と。
えっ?私ですか? いやいやまだまだ五里霧中ですが・・。
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ある女性が子供を産みました。
そのとき、「あなたの子供はひどい知恵遅れであり、もっと言えば、一生あなたが母親だとはわからないだろう」、と告げられました。
その子は重度の障害児だったのですね。
それを知った夫は彼女から離れてゆき、かくて蓄えもないその女性は幾重にも苦しみを背負うことになりました。
当初彼女は神を呪い、世の中を呪いました。
あわよくばこの子供が、なにかしらの事故で死んでくれたら・・、などとも思うのでした。
後にその女性は大きく変貌を遂げました。
ロス博士の言葉を借りれば、そのことの意味を見つけたようです。
ときに、彼女が書いたという詩があります。
少し長いですが、以下に転載してみます。
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お母さまっていったいなんだろう?
特別な存在だってことは分かるわ、
わたしの誕生を何ヶ月も心待ちにしてくれたんですもの。
生まれたらすぐそこにいてわたしを見つめてくれたし、
生まれて何日もたっていないわたしのおむつも取り替えてくれた。
初めての子供にはいろいろと夢があったことでしょう。
お母さまの妹のようにかしこい子で、
学校に上がって、大学にも行って、結婚するのを見たかったことでしょう。
でもわたしはどうだった?両親はわたしを生んでよかったのかしら?
神様はわたしに別の意味を与えてくださったのよ。わたしはわたしですもの。
わたしのこと誰一人、かしこい子と呼んでくれることはなかった。
何かがわたしの頭の中でうまく働かないの、
でもわたしはずっと神様の子なの。
わたしは幸せよ、みんなのこと愛してるし、みんなもわたしを愛してくれているんですもの。
わたしが話せる言葉はあまりないわ。
でもちゃんと気持ちが伝わるし、優しい思いや温かさ、やわらかさ、愛情も分かるの。
わたしの人生には特別な人たちがいるのよ。
座って笑うこともあれば、泣くこともある、どうしてだろう?
わたしはとっても幸せだし、すてきな友達にも愛されているの。
これ以上なにを望むことがあるかしら?
あら、もちろんわたしは大学にも行けないし、お嫁にもいけない。
でも悲しまないで、神様はわたしを特別にしてくれたんですもの。
人を傷つけることはないの。わたしはただ愛するだけ。
きっと神様は、愛するだけの子供が必要だったのね。
覚えているかしら、わたしが洗礼を受けたときのことを。
あなたはわたしが泣かないように、わたしを落とさないように、心配しながら抱いていたわ。
幸いどちらも起こることなく、幸せな一日だった。
だからあなたは私のお母さまなんでしょ?
あなたはとってもやわらかくて温かくて、愛を与えてくれている、
でも、それよりもあなたの目には何か特別なものがある。
私は他の人からも愛を感じているの。
たくさんのお母さんを持った、特別な存在なんだわ。
世間でいう成功することはないだろうけど、
ほとんどの人ができないことをやってみせるわ。
私が知っているのは愛と善と無垢だから、
永遠の世界は私たちのもの、分かち合うことができるものなのよ。
ねっ、お母さま。
エリザベス・キューブラー=ロス 死後の真実
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