クリミアの十字架
フロレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争(1853〜1856)に従軍看護士としておもむいたとき、野戦病院の状況は、それはひどいものでした。
ナイチンゲールはそのなかで必死に看病をし、少しでも劣悪な環境を改善するため、その身を挺して看護に捧げました。
それが、戦地から戻ってきた戦士たちからの口づてでナイチンゲールの評判が広まり、やがて人々から「クリミアの天使」と呼ばれるようになります。
ところがナイチンゲールには、そのことがかえって不本意なこととして心に重くのしかかってしまうのです。
それは何故か。
実際のクリミア戦争における死者の数は、ナイチンゲールがどれだけ身を焦がして尽くしても、実はさほどの変化はなかったのです。
後に衛生局の担当が来て、衛生面を改善してから減ったのでした。
「自分がやってきたのはなんだったのだろう」
これが、ナイチンゲールの疑問と悩みとなりました。
そして彼女の十字架として、心に重く刻み込まれたのでした。
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実は誰しも、どんな人でも十字架は背負っています。
そして十字架とは、その人その人にとって重く、辛いものでもあります。
たとえばどれだけ社会で成功しても、どれだけお金を持っていても、またどれだけ栄光に輝いていても、まるで悩みなどないように思えても、実際のところなにも背負っていない人などいませんし、苦しみのない人もいません。
逆に、貧しい人もあるでしょうし、こころの病んだ人もあるでしょう。
悩みに打ちひしがれた人もあるかもしれません。
そのありようは、まさに千差万別です。
つまるところ、「すべての人それぞれが、自分なりの十字架を等し並みに背負っている」ということは言えるのではないでしょうか。
その内訳は経済面であったり健康面であったり、また人間関係であったりいろいろでしょうけれども、しかし、多くの苦痛の原因とも思われるその十字架にこそ、もしかしたら自身に与えられた人生の本当の意味・意義が隠されているのかもしれません。
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かくしてナイチンゲールはこの十字架とともに生き、これを活かして、後に「看護学」の基礎を作りました。
そこにたゆみのない努力と苦悩があったことは、想像に難くありません。
現在我々が恩恵にあずかっている病院での看護は、ほとんどがナイチンゲールの作った基礎の賜物です。
たとえば、ナースステーションやナースコールを考案したのも彼女です。
彼女がいなかったら我々の病院生活は、明らかにもっと違ったものになっていたでしょう。
その一方で、ナイチンゲールが生涯大切にしていたものは、自分の名声や栄光を示すものではなく、野戦病院にいた兵士たちが彼女に贈った粗末な、しかし心のこもった手作りの十字架だったということです。
それが、「クリミアの十字架」と呼ばれるものです。
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